善意とは何か?
きっかけとなったマスク
コロナ禍にあってマスク不足が深刻化し、私はたまたま中国語もしゃべれますし、海外通販への抵抗もなく、買占めではなく製造元にあたる中国の業者よりマスクを仕入れることがきました。
家族や兄妹に分け、私の職場の皆に利用してもらうよう職場にも持ち込みました。
私の所属する職場ではマスクが充足し、誰もマスク不足で困ることはなくなりました。
確かな隔たり
届かない思い
しかし、私に関連する企業の方、私とともに働いてくれる他社の方へ寄贈したかったのですが、なかなか受取ってくれませんでした。
「受取れません」というのは当時マスク価格が高騰していましたから常識的なことだったのかもしれません。
コンプライアンス、という言葉が蔓延し各々が雇われている企業間に確かに垣根は存在のも事実です。
渡しには、ただ悲しい思いが残りました。
善意の証明
受取り手は存在するのか?
私は、やさしさの押しつけは暴力だと思っています。
しかし、私があの緊急時にしたかったことは一人の人が人を思いやるという行動でした。
なぜ受取ってもらえなかったのかな?
マスク価格やコンプライアンスのことを取り払って極力シンプルに考えてみました。
そして私の善意とはなにか?その善意を受取ってくれる人は誰か?
それを見つけたくなりました。
故に、私の持っている技術を提供することを考え、行動を起こしました。